17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

「バケモノの子」がいかに細田守最高傑作で2015年屈指のトホホ作であるか

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バケモノの子 視聴いちおうフル

 また一つ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次の瞬間に繋げるための礎です。

 

 宮崎駿の後を継ぐ監督であるとか、または押井守とその名前までダブるみたいに日本商業アニメーションの代表監督だった2人の意味を継いでいるかに見える、細田守作品。しかし実際のところ、その作品の出来には座りの悪い何かが常に付きまとっています。今回は過去になく王道のファンタジーのラインに乗っかった作品なのですが、それがヤバいです。

 

 「バケモノの子」を簡単に説明すればこうです。小さい頃に両親が離婚し、さらに母親が交通事故で亡くなってしまい孤独の身になった少年が、つらい現実から逃れるみたいに異世界へ行き、そこで出会う荒くれ者のバケモノと暮らし修行するなかで強くなっていく。やがて現実へと戻っていく。

 

 ピクサーやディズニーといった大作商業アニメをはじめ、まさに王道。少年少女が成長して終わる行きて帰りし物語のはずです。にもかかわらず、その内容は異常。それどころか過去作品と比べてもグロテスクです。それゆえ細田守最高傑作と言えますし、そして今年屈指のトホホ作です。ここよりその理由を書き散らしてみます。

 

 細田守監督を宮崎駿の後継者に仕立て上げたいのはなにも広告代理店側じゃなくて、オーディエンス側でもおおかみこどもで獣を描くよねいやいや少年をしっとり描くことの多いショタコンみたいなとこあるよねとか言ってるのを時々見かけると、宮崎駿ロリコンだよねみたいなフェティッシュの部分も無理やりに当てはめて後継者と考えようとしてるみたいに見えてぼくには可笑しいです。

 

 そして作家性をもなにかおおかみこどもあたりで見出そうとする人もきっと多いのかもしれませんし、どっかしらモチーフがダブる本作も親子がどうこうとかに話がちなひとみかけますが、やっぱ何もないと言った方がいいです。

 

 しかし確実に細田守作品に継承されてきているのは、そのアニメートと映像構成そのものです。そしてそれが凄い単純化して、渋谷と渋天街を行き来するそれはすなわち宮崎駿押井守の映像が行き来するものになっています。美しいと言うよりもグロテスクなそれです。

 

 冒頭の渋谷。とてつもなく写実的に描かれた夜の街、そして群衆。街中に張り巡らされた監視カメラ越しのカットの冷たさを持って、かつて「機動警察パトレイバー2」でセルアニメにて極めた押井守の映像に近いです。うって変わって異世界・渋天街シークエンスにてパステルな手描きの背景の中で、熊轍と修行する九太という、ボクシングや剣劇のタイトなアニメーションという温かみある部分を宮崎駿的なアニメートが織りなしているのです。

 

 ふつうなら渋天街シークエンスで熊轍との修行の日々を観ていきたいところです。そして最終的に熊轍が宗師決定戦を闘うのと同時に九太が同じ境遇の一郎太と決着をつけ、そしてお別れして現実へと戻っていくって筋をきっちり描いていれば安心できる行きて帰りし物語ピクサーやディズニーらしいそれなんです。しかしそんな全年齢的に隙の無い出来にはなりません。結局ここはセックスか戦争を知ったガキのモード、日本商業アニメの世界です。確かな現実とファンタジーの区分けしたうえの成長とは別の余韻を残していき、それはグロテスクです。

   

 熊轍と修行する少年時代のアニメートは非常に面白く、熊轍の動きをまねする九太、四季の移り変りに合わせて演舞するふたりはベストのシークエンスのひとつです。が、九太が成長し17歳になった途端に宮崎駿っぽい流れが突如終了し、人間界の渋谷に帰還。アニメートは押井守(とか今敏とか、写実作画系の)冷たく殺伐としたシークエンスに突入。

 

 その温度差は凄まじいです。突然メルヴィル「白鯨」を読みだし、以後にその引用が行われる無暗な衒学性(スタッフロール観てたら「山月記」もあったみたい)。ヒロイン楓墨州と出会う図書館で、騒いでいた高校生に絡まれるシーン。そこで放たれる暴力がさっきまでジャッキー・チェンみたいなアクションしてたのに、画面外から殴打した音だけ流れ相手が倒れ伏している。いきなり北野武黒澤清映画に引っ越したくらい誤差あります。なんで現実はこんな無残で冷たい描写なんだ…これが日本の「コングレス未来学会議」なのか…いや「魔法にかけられて」なのか…

 

 



 ある意味宮崎駿世界と押井守世界が接続してしまう異形性が中盤以降爆発しています。つまり、魅力的で漫画的なファンタジー世界を、無暗に写実描写した現実が潰しちゃう流れ。そこ、コングレス的です。

 

  楓に連れられながら日本の高校へと編入ができないか探り合う九太。市役所に行きながら住民票の所在を聞く描写はは現実に適応するために…っていうかこれじゃあ行きて帰りし物語の構図で、もう帰ってる!熊轍の役割、終わってる!中盤で物語終了してる!でもまだ渋天街いるし、中途半端にズブズブ!っていうか自由に行き来出来てたのかよ!

   

 急速に作画枚数も落ち、凝ったレイアウトの上にセリフが被さる省力演出が目立つようになるという、悪い意味での押井守はじめ幾原シャフトらに繋がる 演出も増えていきます。すでに17歳になって熊轍をいなせるくらい大人になった九太が現実の高校に行こうと四苦八苦…ぼくはなぜ「天空の城ラピュタ」のパズーが「パトレイバー2」みたいな映像世界の中で再就職に必死になっているようなシーンを見なくてはならないんでしょうか…

 

 そしてだんだん悲しい事実に突入します。異世界に来て苦しい出生に苛まれた少年が、自分と全く違う人たちと関わり成長し、トラウマを克服し現実に戻り大人になったのか…と思いきや、宗師決定戦が心の闇がどうのでキャハハと笑う悪人に潰される。ここまでの日本商業特有のアニメートの持つ美しさが、結末に近づくにつれなんと中二病へと展開。なんだ全然現実に戻れちゃいなかったんだ!


 そう宮崎駿押井守のアニメートの末、中二病アニメに突入し日本アニメが憂鬱になるここ30年の歴史を2時間強で体感できる作品になっています。これがセックスか戦争を知ったガキのモード、現実とファンタジー世界の境界やイニシエーションの役割がよくわからん世界。痛む左腕だけが生きているように思えた。やがて大きな鯨の影がこの書き散らしを包むだろう。



 このように映画の出来はトホホでもっと面白く出来た要素に満ちていますが*1、その映像は確実に宮崎駿から押井守などを継承してきたものです。それを過去作以上に渋谷ー渋天街シークエンスを交互に見せることで技術的に証明したのでは、なので最高傑作です。そして作家性とか完成度とか錯綜してめちゃめちゃになってる屈指の駄作です。

 

 そんな日本商業アニメーションの培われた技術で作った、王道中の王道がこうした歪な出来と言うのに思うところありました。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回「インサイドヘッド」でお会いしましょう。

 

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*1:全部少年時代でいい、渋天街と渋谷が相互に影響与えてること、オカンの亡霊、一郎太の出生を序盤から示唆しとくとか 多分ピクサーとかなら脚本修正やキャラクター性格のアレンジ詰めてくんじゃない?