魔法少女リリカルなのはViVid 視聴10分 製作 A-1ピクチャーズ
また一つ現れました。瞬間的に熱しすぐさま忘れ去られ、次なる瞬間につなぐための礎です。
そろそろ春のモードのまとめの書き散らしでも投げつけますが、思ったのは「デザインの中核にあるキッチュさの取扱い」ってことに尽きます。
商業アニメ界隈深夜部の基本デザインのラインにある女の子基本デザイン・髪色原色わけ・極端なシルエットみたいな、萌えとか何やらの感覚の記号。キッチュです。客層がダイレクトに解釈・評価できる基本ラインは9割そこで、各スタジオをそのラインの中をいかにデザインするかを競っていると見ます。で、最近はその商業アニメのキッチュさをデザインするレベルはちょい変わってんのかな、という話ですが…
そんなキッチュさの中で、マジで群を抜いて「うわあ…これこそ俗悪そのものだ…」と思ってしまったのがこの作品です。
しかしすごいデザインです…超極端な目の書き方、髪色、人体のバランス、そのほかなどなどこれ2015年になっても生き残ってるのか…
オタク高齢化というのを時々耳にしますが、それは寄生獣とかうしおととらみたいな過去ヒット作が今なぜかアニメ化されるとかまたハルヒのスピンオフが出てるとかヒット作をいまだに引っ張るというそんなところではなく、ぼくが高齢化してるんだなあというのを痛感させられるのはいまだにこのデザインが客がマジの意味でとらえてくれるラインに乗ってるということです。
商業アニメの制作サイドではおそらく現行のアート・デザインレベルから捉えられる若手は結構出てきてるとは思われる一方、客層に関してもっとも利益に還元してくれる層ではどうしてもオッサンばっかであって、そのあたりになると新陳代謝は悪くなるのかもしれません。どんなジャンルでもシーンの新陳代謝は製作者側のみならず客層からそのほか環境まで含んで起きると思いますが、「なのは」はもっとも新陳代謝悪い部分を感じます。
キャラデザがまさに無抵抗なほどのキッチュの塊でトホホと思う一方、OPのアニメートや本編の細かい作画の出来や、色調の調節などの仕事が優れておりここんとこにコンサバティブのトップA-1仕事です。
が、ぼくにとっては巨人の星とかガラスの仮面を10年20年後の人たちが茶化し切ってるなか、なおもこのキャラデザの俗悪さは誰も茶化すことないのがすごいです。ここまでの仕事をしながらトホホキャラデザを守るその構図に、なぜか先ほどのオタク高齢化説をひしひしと感じるのでした。
アニメシーンでは制作者サイドがこのすさまじいキッチュさに関してどうしようかと悩ませている絵図に見えます。キッチュさをそのまま美とするか、キッチュをよりキッチュにするか、写実や日常情景を混ぜキッチュと離れるかなどなど。
観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。
悪趣味の復権のために バッドテイスト―荒俣宏コレクション2 (集英社文庫)
- 作者: 荒俣宏
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1998/01
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 4回
- この商品を含むブログ (6件) を見る