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17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

今季のアニメーションの1話だけを観て今のモード(形態の流行)を全て決める最悪のアニメレビュー

「ユリ熊嵐」”2015年のウテナ”というひどい感想

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ユリ熊嵐 視聴フル 監督・幾原邦彦

  また一つ現れました。瞬間的に熱しそして忘れ去られるために積み上げられ次に繋げる礎です。

  表現ってレベルなんですが、TVアニメ界隈と演劇の関係は意外に大きいのか?というのをとみに感じます。特に近年のデザインのキレのいい演出やミニマリスティックな作風というのを生かす先達として幾原邦彦監督のウテナあたりはかなり影響があったのではないかと想像します。

 日本アニメの演劇の繋がりとか言い出すと、声優さんは人によっては自前の劇団を持っていたりだとか、何らかの演劇作品に出演しているなどありますが、とりあえずここでは演出に話を絞りましょう。

 日本型のリミテッドアニメで作画リソースが無い中で、それでも作品を意味深く面白くしようとするそんな表現の進化の一つにコンテの流れやバンクの使い回し、カットごとのデザインを凝ると言うような方向にあると思います。

 

 しかし振り返って考えてみれば日本アニメの省力ぶりを生かす前衛表現→演劇表現とのミックスというのもこれまた押井守がでけえのかなあと思っており、あれも作画枚数を稼がずにいかに意味ありげに見せるか?ということでゴダールのような脱構築視点から、おそらくベケットブレヒトといった演劇人のネタも引っ張ってるところあるのではないでしょうか。「御先祖様万々歳!」ではまんま、演劇の表現を行うなど導入しています。

 

 

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 演劇表現といったら数多くの人が信奉する寺山修司作品の影響などですが、意外に押井守から本作監幾原邦彦、場合に寄っちゃ庵野秀明、インサイダーのアンダーグラウンドアニメ作家・原田浩に至るまでその強烈な表現をアニメにて追従しようとしている人間は数多いです。

 

 

 

 

 前置き長くなったのでそろそろ本題に移りますが、「ユリ熊嵐」はやはりこれまでのようなアプローチの姿勢はぶれてないのでしょう。前作ピンドラが90年代のオウムと神戸少年殺人事件*1をイメージソースとした作風なら、今作のイメージソースには散々言われているように日本の獣害の歴史的ケースである三毛熊事件を使ってます。

 

 現実の歴史的事件や時代の問題を投入する姿勢は演劇人で言えば野田秀樹を思い出すのですが、しかし幾原作品では社会事件や歴史事件そのものを拡大するというより、本道はやはりかっこ悪くもあるいいかたですが種日本長編アニメの王道である少年少女の青春の光と影っぷりを見せるためと見えます。

 

 

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 本作は過去の幾原作品と全く別になってます。かなりデザイン的で、フラットなキャラクターデザインや画面レイアウトを持っています。色彩配置はキャラデザだけではなく、全体の背景美術も通してp、ltg、ltあたりの明度が高く彩度が抑えめにしてあるパステル調のデザインです。

 

 キャラクターデザインもあんまりデコらないし、割にベタな少女マンガデザインで各キャラごとに原色で髪の色違うみたいなs、v、dpあたりの強い明度彩度を持つウテナやピンドラのクドさやケバさが無く、すごくフラット。

 まるでポスターのような彩度をくっきり分けた背景美術の特殊さも見ものなんですが、とにかくいい時のシャフトみたいなトータルでグラフィックデザインみたいな方向になっていると見ます。そこが過去作品と全く別で、意外に幾原作品なのに薄味に見えるようになってます。

 

 獰猛に食い荒らす三毛熊事件をイメージソースとして描かれるは獰猛なまでの少女のコミュニティやら人間関係やらの攪乱と騒然という感じに見ており、”承認”だとか”断絶”などのタームが出てくるのも、ほら承認欲求どうのってSNSネタでよく出るこの言葉を元にしていて、やっぱその辺の自意識にまつわることもネタにしてんのかなあと思われます。

 

 少女のコミュニティや人間関係が三毛熊事件やら抽象的な世界観やらで暗喩され、それがシャフトあたりで完成されてる現代型のグラフィックデザイン的な方向性でまとめられる。ということはユリ熊嵐はなんだか作家性の高いベテラン監督作品の新作の評にありがちな言い方で申し訳ないですが、「2015年のウテナ」ってことでどうでしょう。

 

 誰に同意を求めているのでしょうか?まあウテナの根底で闘っていたものもそういうことと見ていて、この作品はまさに今現在のこの環境や視座、デザインのレベルでそれをやったら?という感じじゃないでしょうか。

 

 観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。

 

 

 

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*1:余談だが、あの作品に意外にも90年代感が漂わないと思ってたが当時のメディア(テレビやネットなど)によるイメージの増幅というものにアプローチしてないからかもなと今更考えました。でもほんとはその観方は野暮かもしれません