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17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

今季のアニメーションの1話だけを観て今のモード(形態の流行)を全て決める最悪のアニメレビュー

魔法少女まどか☆マギカに通ずるアートアニメーション5選

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 少々が時期がはずれておりますが、「まどか☆マギカ」は近年では特筆される評価を得ていた作品でした。そこは「監督、脚本、音楽すべてのバランスが取れた」といった評価が最も簡単なところだと思われますが、意外にあれは類型的なアニメのフォームに乗っ取ったうえで意味を大きくズラしてる表現が印象深いと思います。


 ざっと眺めるに批評や解釈が虚渕玄のテキストに寄りがちに見えますので、ここで軽く書き散らしてみたいのはやはりアニメならではの映像表現の面です。そこにはテレビアニメと異なるアートアニメーション方面の(どうあれ)血を流してると見ることで、単なるテキストの拡張的な映像ではないと思うからです。

 

 

1・ルネ・ラルー「ファンタスティックプラネット」

 

 

 伝説的なアートアニメーションとして君臨し続ける本作は、すべてが色鉛筆などで描かれた切り絵による手法により不気味極まる世界を描いています。赤い目の謎の巨人ドヌーヴ族に虫のように支配される人類の抵抗と冒険。ヒエロニムス・ボッシュ的な皮肉さと暗喩に近いです。

 

 現在ヒットしてる「進撃の巨人」にももの凄く通ずる。諌山創さんなどが本作を知ってるかというとそれはわかんないんだけど、カルトでありながらメジャー、みたいなところに本作が引っかかってきます。

 

 

 

2・モンティパイソン時のテリーギリアム作品

 

 

 

 

 あの平面的で特徴あるドローイングやコラージュを多用したアートスタイル、あれには伝説のお笑い集団モンティパイソンに関わっていた現映画監督のテリー・ギリアムの作り上げたコラージュのアニメーションの影響も強く言われています。

 

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3・ハリー・スミス「ヘブン・アンド・アースミュージック

 

 

 そのテリー・ギリアムもおそらくは参照していただろうコラージュによる奇怪なアニメーションを作っていたのが特異なクリエイターであるハリー・スミスです。

 とりあえずハリー・スミスはアニメーション専門ではなく基本は芸術家、ですがそれだけではなく音楽プロデューサー、それどころかオカルト研究や奇術家といった異形のマルチクリエーターとして君臨していた人物です。本作はその多岐に渡る活動の一環として行われたようです。

 本作「ヘブン・アンド・アース・ミュージック」はおそらくかなり早い段階で膨大なコラージュによって異形の世界を生み出す先達であったと思われ、ここにはテリーギリアムが行っていたユーモアとは違い、魔術的で奇怪な手触りを残します。

 

 

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4・ Stan VanDerBeek スタン・ヴァンダービーク

 

  ハリー・スミスのような不気味なコラージュの連続による実験アニメーションの系譜は各所に現れました。スタン・ヴァンダービークもまたそうした実験的映像作家の一人であり、こうした「サイエンスフィクション」だなんてタイトルから察せられるようにテクノロジーをネタにした指向であり、どことなくロシアンアヴァンギャルドを思わせます。多分にハリースミスやギリアムよりは政治・メディアそのものを俯瞰して見つめているような気配がありますが、この後に初期のコンピューターグラフィックスを利用した実験映画を作るなどしています。

5・Lawrence JORDAN ローレンス・ジョーダン 

 

 

 

 ギリアムの諧謔、スミスの魔術、ヴァンダービークの(おそらくある)多岐に渡るメディアというものへのアヴァンギャルドな視座などなどと比較するにジョーダンの描くコラージュの世界は幻想や夢の気配というものが強い印象があります。


 さて実質イヌカレーの手法の源流探りみたいな選になってしまいました。個人的にまどマギがなにか異質な気配をまとっていたのには、極めて紋切り型で記号的なジャンルアニメでありながら上記のアートアニメーションの方法論を受け継いだイヌカレーの手法と混ざり合うことで、驚異的な異化効果を生み出したことが大きいと見ています。

 

 上の作品の動画で分かるように、切り絵&コラージュによる映像の連なりは極端なほどに立体感や空間を打消し、徹底して平面の構成を基調としています。そこは極めて記号的な映像になります。ですが、異質な写真や切り絵の連なりにより混沌とする映像の中で、あらゆる感情移入の導線は断たれ、元々の意味や内容はばらばらに引き裂かれます。

 

 そのフォームの中に日本商業アニメの魔女や魔法少女という記号的なデザインが加わることで、典型的な原色と極端なシルエットでキャラ分けされたデザインというのは感情移入のしやすさや観やすさを意味しなくなります。作品内でのまどかやほむら達を映す視点は、まるで羽虫を見つめるような存在感であり、総じて寓話的なムードがあったと思います。

 

 商業アニメが職能的に持ってしまってる記号性をどうかしようとしてた庵野秀明が「徹底して記号にしてるのがいい」みたいな評価をしてるのがなんだかいまだに意味深いですが、まどマギは切り絵やコラージュ手法を全面にしたイヌカレーのアプローチと交わることにより、徹底して記号的でありながら商業アニメで典型的な感情移入や分かりやすさから意味や内容から大きくはずれていきました。いささか魔法少女ネタというには冷ためな距離になった代わりに、異様なほどの暗示や暗喩に満ちた印象を生んだことが最も大きな特徴であると思います。観たアニメは忘れましょう。と言っておきながら時々長らく刻印されるものも現れます。次回にでお会いしましょう。*1

 

 

 

 

 

*1:突っ込んだ話するとぶっちゃけアートアニメーションというものと商業アニメーションの界隈は文脈が異なるため、作品の最終的な評価までをごっちゃにするのまでは間違うのでやや慎重になってます。