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今季のアニメーションの1話だけを観て今のモード(形態の流行)を全て決める最悪のアニメレビュー

「アニメ 永遠のおすすめ名作」…になるはずだった野心作「NIMO/ニモ」 宮崎駿、ディズニーと関係者が世界アニメ重要人物史という脅威

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 いまでは当たり前に日本製アニメーションはその独自スタイルを「ANIME」というジャンル枠によって海外にも展開されているが、かつてはそうではなかった。日本でもはディズニーに負けないような強度の日本の長編アニメを作り上げ、世界に展開しようと切り開く歴史があった。そのプロジェクトが「ニモ/NIMO」だった。

 

 そのプロジェクトは1970年代から1980年代にかけて10年の月日と、50億を超える資金が使われた。もしこれが順当に完成し、成功していれば、それはある意味では映像というメディアの発明から発展までの100年近い歴史を集約させる出来となったであろうし、同時に日本のアニメと米国のアニメという誤差さえも埋める凄まじい出来事になったには違いない。だがしかし制作は難航し、その期待通りの成果は上げられなかった。

 

 大作映画の宣伝に付きものの”豪華スタッフ”というコピー、それはこの「NIMO/ニモ」も当てはまるだろう。しかし関わったスタッフの名を上げると豪華なとどいう言葉すら安すぎる。20世紀初頭にアメリカのアニメーションを大きく拡大した漫画家でありアニメ監督のウィンザー・マッケイの「夢のリトルニモ」を原作とし、ディズニーの伝説のアニメーターである「ナイン・オールドメン」、そして宮崎駿高畑勲出崎統。それどころかフランスの漫画家メビウスまで関わるという、世界の商業アニメーション史上に名を残すメンバーが関わっていたのだ。つまりは、その時点でのアニメーションの歴史を一種総括している立ち位置といっても過言じゃない。

 

 日本アニメのリミテッド量産体制に反抗したプロデューサー・藤岡豊

  日本の商業アニメの初期こそは、1950年代から東映動画がディズニーやロシアのアニメに負けないような、精微なフルアニメーションを行っていた。それは驚異的な訓練も製作の時間も人員もかかる中で実現したものだ。

 

 しかし時代の中でアニメがTVで毎週放映されるコンテンツへと発展したころから事情は違ってくる。手塚治虫による虫プロを代表的に漫画原作をもとにした、製作資金が抑えられた省力のリミテッドアニメーションが量産されるようになっていったからだ。以降、アニメートの活力と言うのは削げたものになる。

 

 ほとんど動かない絵、動画の使い回しなどでストーリーとキャラクターが伝わればいいという方向。初期にはディズニーや共産圏に匹敵する長編フルアニメ制作を行ってきた東映動画も、60年代の後半ごろには漫画原作の量産化の方向へと行ってしまう。日本式のそうした土壌によって発展したアニメートもあるのだが、60年代70年代のその状況下、大衆化の一方で技術や質的に世界のアニメーションに立ち向かおうとする流れからは遠のき、国内市場にて完結しがちであった。

 

 そんな中、真っ向からアメリカ市場に通用する日本アニメという大局を見据え、ディズニーに匹敵するアニメーション制作を志そうとするプロデューサーがいた。それが藤岡豊だったという。


 「ルパン三世」や「巨人の星」の原作の映像化権を取るなど敏腕で知れたという藤岡氏による、世界に匹敵するアニメ制作を実現する過程。70年代から80年代にかけて取り組まれたそれは、のちに高畑勲宮崎駿らを飛躍させていくほどの影響を与えていくのだった。

アメリカ進出のために選ばれた原作


 藤岡氏はアメリカに進出するにおいて、日本でも初期にはディズニーの対抗馬であった「ポパイ」「ベティ・ブーブ」、長編では「ガリバー旅行記」「バッタ君、町へ行く」などを代表作とするフライシャースタジオを訪ねていた。そこで日本ではどんなアニメを作っているのか?の試写を簡単に行い、「ルパン三世」「ジャングル黒べえ」をそこで見せたところ「泥棒が主役とはどういうことだ?」「黒人差別じゃないのか!」というレスポンスをもらってしまう。

 

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 そうしたリサーチを重ねながら日米の文化差を見取り、名前を売っていき、次第にアメリカ市場を狙った原作選びが進んでいく。そこで定めたのがウィンザー・マッケイの「夢のリトルニモ」だ。これはディズニーが映画化をしようとしたが企画が流れたままだったといい、何故か米国商業アニメーションの覇者が米国アニメーションのパイオニアを映画化することは出来ていなかったのだ。

 

 

  「リトルニモ」と日本アニメの出会いは今考えるとなかなか運命めいている。上のエントリにまとめたけどウィンザー・マッケイの漫画とアニメはディズニー型のカートゥーンアニメのような構造を持っておらず、カットとレイアウトで広い空間表現を見せていくような日本式のアニメのリアリズムに近い。そしてその完成はまさに「NIMO/ニモ」が製作されていく70年代から80年代にて為されたものではないか?

 

 かくして日本・米国をまたにかけた歴史や文脈的にも凄まじいアニメ制作はスタートしていく。

   

 テレコムのアニメーター育成、NIMOのアイディアの中で培われる宮崎駿作品

 現実にアメリカ市場に打って出るために藤岡豊が始めたことはアニメーターの育成を兼ねたアニメーション製作会社の設立だった。それがテレコム・アニメーションの誕生のきっかけだったのだ。

 テレコムが「NIMO/ニモ」を目指す過程の中で高畑勲宮崎駿の代表作が性急に生まれていく。宮崎駿は「カリオストロの城」を劇場用アニメながらわずか4か月で作り、高畑勲は「じゃりん子チエ」の原作の土着性を演出して見せる。

 

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 宮崎駿自身は「NIMO/ニモ」の原作の解釈やプロジェクト自体にはそこまで乗り気ではなかったらしく、藤岡豊に対して別の案を提示したりとこの時期に後の「風の谷のナウシカ」、絵本版の「もののけ姫」などのアイディアを描き溜めていたという。

 

 テレコムは80年代、「NIMO/ニモ」を作る過程の中でアメリカのアニメの下請けを行っていくなどしてアニメーターの洗練が進められる。「NIMO/ニモ」の演出には高畑勲が担当することになっていった。

神々が神々をレクチャー 

 やがて「NIMO/ニモ」制作の資金確保のめどが立ち、本格的に日本とアメリカでのアニメーションの研究のために主要なアニメーターはハリウッドへと招かれる。

 

 そこでの研究というのがすさまじい。中核の高畑勲宮崎駿近藤喜文大塚康生友永和秀らはじめ11人、現在からすれば日本アニメの伝説クラスのアニメーター・演出家が渡米し、そこでレクチャーを行うのがなんと「白雪姫」「ファンタジア」などなどディズニー黄金期のアニメートを確立させた「ナイン・オールドメン」と呼ばれたフランク・トーマスとオリー・ジョンストンというこれまた伝説の人間だ。

ナインオールドメンのフランクとオリーが構築した「キャラクターに命を吹き込む12の法則」。日本語での詳しい解説はこちら

 今振り返れば伝説が伝説を教えているという凄まじい構図。しかもそれだけではなく、文脈的には日本式の商業アニメリアリズムのトップと米国の商業アニメリアリズムのトップがその技術交流を行ってるという点でも凄まじく面白い。

 

さらに恐るべき追加スタッフ

 

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 それだけではなく、「NIMO/ニモ」にはフランスのバンドデシネ作家の大家、メビウスらが名を連ねるほかに、脚本にはなんと「華氏411」のSF作家レイ・ブラッドベリが担当する。

 「NIMO/ニモ」製作段階では日米の商業アニメーション史的にきわめてラディカルな接触がアニメーター単位では行われていた。ところが、現実の制作のレベルになると日米で大きな摩擦が生まれ、プロジェクトは混迷を極めるのだった…

 

 

 

紆余曲折ありながら、10年を超える月日の中…

 

 現場単位では日米のアイディアやアニメートの技術的に洗練を極めて行った興味深さに対し、制作現場での齟齬がプロジェクトを蝕んでいく。


 米国側のプロデューサーにはゲイリー・カーツ。「スターウォーズ」はじめルーカス作品のプロデュース業で有名だったが、こと「NIMO/ニモ」の制作に関しては非常に相性の悪い人物となってしまったという。

 

 カーツの「NIMO/ニモ」の現場での振る舞いはウォルト・ディズニーを真似たという。現場から上がってきたイメージボードに対して「これはいい、これはだめだね」と指示して切って捨てていったという。

 

 日本サイドはこれがアメリカのやり方なのか?と困惑するが、やがてゲーリーのやり方はディズニーのようにイマジネーションの方向を絞るものなくほかのプロジェクトの片手間に「NIMO/ニモ」に関わっていたことが発覚。それを悟った藤岡豊はゲーリーを排除する動きを見せる。

 

 …当然のように現場は混乱し、製作費が消費されていく。ゲーリー排除の中でブラッドベリの脚本とは別の脚本家が用意され、やがて「NIMO/ニモ」の演出を担当していた高畑勲までも降ろされてしまう。なんと制作現場は演出不在の状態が長らく続いてしまうのだ!

 

近藤善文と友永和秀、そして出崎版パイロットフィルム

 

 演出家が不在となるプロジェクト。その中でも近藤善文と友永和秀が作り上げたパイロットフィルムはプロジェクトのプロモートや技術力を結集させたものとなった。しかし近藤善文も、混迷するプロジェクトのなかテレコムから去って行ってしまう。

 

 演出家の候補は難航し、挙句の果てにほとんどプロジェクトにも制作であるテレコムとの関わりがわずかであった「あしたのジョー」「宝島」の出崎統が演出の候補に挙がる。

 

 以上が近藤&友永と出崎のパイロットフィルムだ。前半の近藤&友永のフィルムは後の宮崎駿作品にも大きく関わる近藤善文ならではの空を飛ぶ快感や、低空で飛び水面の水を切っていくダイナミックな美しさが凝縮され、そののちの落下の恐怖が夢からの目覚めを表現する。冒頭の列車激突ぎりぎりのところを横切るカットは本編でも生かされる。

 

 後半の出崎版はアニメートの強度が足りない分をデザインやカットの豪華さで表現している出崎節の画面作りだ。ここはさすがに米国フルアニメ文脈とは離れた日本式のデコラティブやコントラストの効いた画面とデザインをしている。

 

 しかし演出は結局出崎統にも決まらず流れる。最終的に日本サイドから現マッドハウスの波多正美、米国サイドからはウィリアム・T・ハーツに決定し、公開に向けた最終的な演出に入るのだった。

 

 もうここでの演出は演出家の作家性云々ではなく、完成に向けた最終調整日本と米国をまたにかけたプロジェクトの結末に入ろうとする。ところがその苦難や努力を興行は優しく評価しない。凄絶な結果を、プロデューサーに与えることになる。

長大なプロジェクト、その興業の結果は

 

 藤岡豊が目指した「NIMO/ニモ」は最終的にここまでの期間と55億円と費用をかけた大作となった。

 ところが、公開に向けた肝心の宣伝費がこれまでの制作費でなくなってしまい、宣伝は限定的なものになった。そして最終的な興行収入がどうなったかというと、なんとわずか4億5千万円という結果。期間と予算に対して大惨敗となった。この責任により、藤岡豊はすべての権利を手放し、第一線から退くことになってしまう。

 

 だがしかし「NIMO/ニモ」の結果は後からついてきた。80年代以降活発になったビデオ販売の流れである。そこで米国の会社によってビデオ化した際に、現地にてなんと200万本を売り上げたのだ。藤岡豊の目指したアメリカ市場に通じる日本製という結果が、こうした形で実現に至った。だがしかし権利関係によってその報酬が還元されることはなかったという・・・

 そして「NIMO/ニモ」の出来は…強度の高い傑作だった!

 

 米国に通用する野心的なビッグプロジェクトであった「NIMO/ニモ」。アニメ世界史のような人物が結集していたが実現の過程のなかでみんな離れていってしまった。果たしてそれはコンセプトが現実に敗れてしまうような失敗作だったか?というと、完成された作品をいま観る限りとてもそうは思えない。

 

 90分強の時間の中にウィンザー・マッケイのヴィジョンと日本式のアニメ・リアリズムの幸福な出会い、そしてディズニー的なアニメートと、ミュージカル調の音楽と共に躍動するリズムの良い映像。そこに日本劇場アニメらしい冒険映画のクライマックスへ盛り上がる流れがある。ディズニー的でありながらディズニーでは見られない空間性やカットの日本的な表現がそこにはある。「恐竜ガーディ」を思わせるシーンなどマッケイの作品歴のハイライトをまとめている点もよい。

 

 そこには純米国製でも、純日本製でもなかなか見ることのなかった時間と空間の捉え方や、マッケイが早い段階でアニメで提示したイマジネーションの発展した形になっている。

 

 混迷を極めたとはいえ、やはり歴史や文脈として空前だ。最近ではウィンザー‣マッケイの「夢のリトルニモ」が日本でもまた豪華本として出版された他、スタジオジブリ宮崎駿引退から一区切りついたことだし、いまや歴史的な存在であるジブリ以前の高畑・宮崎らが日米アニメを詰めるビッグプロジェクトに関わっていたって意味でも再評価に足る作品ではないか?と思う

 

 80年代、「風の谷のナウシカ」から「AKIRA」などアナログ時代に日本特有のアニメの技術は上がりきり、以後に諸海外にも広まる契機ともなる大作が数多く誕生していた。

 その中でも「NIMO/ニモ」こそは最初から海外で通用することを目指した作品であり、また発表された1989年までの世界商業アニメーションの歴史をある意味でひとまとめにしていた作品だったんじゃないかと思う。マッケイ・ディズニー・宮崎駿東映動画発のアニメーターと演出家を飛躍させる契機。…このプロジェクトは歴史的にも文脈的にも今だ深い示唆を与え続ける。
  

 関連書籍・DVD

リトル・ニモの野望

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 宮崎駿とも数多くの作品で関わり、テレコムアニメーションにて講師を行っていることで有名な大塚康生氏による、当事者からのリトル・ニモプロジェクトの証言。

東映動画の初期からかかわってきた大塚氏による(当時の)日米のアニメ制作スタンスの差を当事者として感じていることのほか、やっぱり宮崎駿のアグレッシブさの逸話が面白すぎる。

今回のエントリについてもっと詳しいことはこちらから。

 

 

 

 ウィンザー・マッケイの原作。

アール・ヌーヴォー的な画面構成は

ディズニーとは全く違っていて、

むしろ宮崎駿大友克洋などになじんでいる日本で解釈しやすい

コミック・クラシック。

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