17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

今季のアニメーションの1話だけを観て今のモード(形態の流行)を全て決める最悪のアニメレビュー

イヴの時間&サカサマのパテマ 書きながら宮崎駿と押井守の後継者問題に突入

Ads

WOWOWでやってた吉浦康裕作品2題書き捨て

 

 

イヴの時間 

 

 ロボット3原則どうたらというのがあるが、その映像からすればその実背景のSF的テクストは全く関係ないと見ます。新海誠と近く、日常のある情景やある気配を拡大するためにのみSFがある、というタイプに見えます。

 

 SFテキストレベルで観たらロボット3原則ネタなんてもう何の意味もないのですが、映像に映るリアリティレベルと言うべきかな、監督の感触と言うべきそれです。とはいえ現実は無機質で~みたいな感触でロボというメタファーかよ!といいますか・・・

 

 ufotableの「空の境界」「Fate」あたりのような、明暗のコントラストで張りをだすカラーリング。ですが、根源のキャラデザインが面白くないですね・・・(ufotableの例に挙げた2作も、そもそもタイプムーンみたいなもともとが何の魅力もないキャラデザインを何とか映像的に張りのあるものに努力した結果みたいな感じですし、そういうデジタル時代のごまかし感が凄いです。

  自宅・学校・カフェと主要なロケーションはおよそこの3つにしぼることによるテクスト劇が主で、この時点で吉浦作品もまた新海誠みたいなリアリティレベルで作ってるタイプだと見てました。特に新海誠とこの吉浦作品に共通してるのは自前で美術にまで手を出していること、というのも情景と感情の映像って意味でデカいと思います…ところがその次回作はというと…

 

 

サカサマのパテマ

 「イヴ」とはうって変わって、誰でもやりたがるけどものすんごく技術も人員も必要な方面に突入してますね・・・そう少年少女のジュブナイルです。前作アニメートしない方面だったのに!

 

 けっこうね、「頭カラッポにして見れる」というのを良くも悪くも言うじゃないですか。どうでもいい言い方だけどこれを掘り下げればさ、「作品の世界観、テキスト的な面で解釈しなおす必要のない、皮膚感覚で面白さが伝わる」みたいな。ところが皮膚感覚に訴える視覚的な面白さ、リズム、テンポで世界の全てを伝えるアニメートには、テキストを遥かに超えた力がもの凄く要求されます。なんでもいいからディズニーなどの短編見ればそれが一発で分かります。

 

 

 

 「サカサマのパテマ」の重力が異なる世界ってすっげえアニメート映えするネタだし、ビデオゲームにだってこういうネタは面白がれるネタです。しかしエイジとパテマは映画の中でそのアイディアのアニメートの面白さをまるで生かせていません。あまりにも映像のレイアウトもカットも弱く、アニメートで生かせるだろう「空に落ちることの恐怖」「重力が違うことで食べ物も食べられないはずでは?」「その他の物質や物理現象は」などなど、エイジとパテマのコミュニケーションの中でいくらでも動画で描けるディテールがまるでアニメートされてなく、長編で作品をまとめるにあたっては世界観テキスト頼り(それもつまらない)になってしまいます。そして、敵役はやっぱり三白眼、高笑いでした。

 

 人員も技術もおそらくは足りていないせいか、アニメートが大した躍動を見せない中最終的に凝った美術の中で何とか持たせてもらい、世界観説明的なテキストに負けていっちゃうというキツさ。ようはアニメートの能力のない監督が作るジュブナイルで、しかもテキスト寄りになるってことで実はフラクタル」くらいダメな作品です。ジュブナイルやるのはもう監督本人がコンテから原画、レイアウトその他もろもろまでトータルでアニメートを徹底してないと全然だめで、テキストに寄ってる暇などないはずです。

 

 アニメートとテキスト。アニメでは断然動画を生かしたキャラクターの演技やしぐさ、アクション、カットのテンポなどですべてを見せていく前者が必要で、後者は便宜的なものに過ぎません。ところが省力で動画枚数を減らし、モノローグやセリフの多用などで持たせてしまう、という技術が発達しており、アニメートよりもテキストの比重が高まりがちです。

 特に新興の作家の長編制作の場合、アニメートやるなら作画の作業量も人材も非常に要求されますが、どうしてもそれはコストがもの凄くかかってしまう。なので情景的な風景のなか内面描写というのは、実は作業コストを抑えながら作家性を発露させるのに適した手法です。エヴァ後半とかウテナ新海誠、シャフト作品を思い出してください)

 ですがそれはアニメートを犠牲にテキストに評価を預けた行為だと、ぼく個人はほんとのところ好みだけどやっぱやばいよ!アニメ演出の危険ドラッグだよ!と思っています。止め絵で世界観ベラベラしゃべる、は作業コストを抑えることをデザインの領域まで持っていけない成れの果てです。

 

 アニメートとテキスト対立、極論それは宮崎駿押井守の対立みたいなもんです。実のところ宮崎駿の後継者の候補はたくさんいるかに見え、後継者に手を上げる人間もたくさんように見えて、全くいない。ところが押井守の後継者はどこにもいないように見えるし、誰も継ぎたがりはしないだろうが潜在的にはうんざりするくらいたくさんいるのです…観たアニメは忘れましょう、しかし独立作家系統は、もう少しなにかを期待しつつ、次回にお会いしましょう。