17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

グラスリップ 実は全部死にかけの人の回想や妄想説

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 グラスリップ 視聴19分 制作:P.A.WORKS

 

 夏と少年少女。人物配置平等の青春の光と影の路線。「あの花」だとか「あの夏」とかの長井龍雪作品あたりが独占してるそれでしょうか?

 「グラスリップ」はその先行者を比較するとキャラデザインとか表現だとかが微妙にクドいです。それはP.A.WORKSの前作「凪のあすから」から続くゆえでしょうか。

 

 そうはいってもエキストラも省略せずに描くし、背景と人物のレイアウトをかなり合わせる&グラデーション色調統一という最近のアニメが当然行っている全体の絵作りと空気感の質は高いです。ささやかなガラス細工を扱う手つきも、ラムネの蓋を開ける手つきもそれは丁寧に美的です。ささやかな夏のムード、これはけっこうアニメ取り上げてるネタな気がします。

 

 にもかかわらず、突然イラスト風味の一枚絵になり会話が続くとか、キャラクターの顔のデザインあたりでいささかレトロな気配があります。2000年代初頭的四角目で鋭角、顔のバランスを超えて主張するあの感じはちと古い感じあるわけで、そうした演出とも相まってダサい感じこれはちょっとあります。

 

 というかエキストラの顔とメインキャラの顔が全然違うだけで作品世界に対する説得力が変貌するといいますか、ジブリとか京アニなどはエキストラのデザインとメインキャラのデザインの乖離は少ないため、主人公は広がる作品世界の中に息づく一人として広がりを感じることが出来るのですが、主人公たちだけのデザインが特殊、となると極めて内向きでメインキャラの世界観にだけフォーカスされた感覚になります。(シャフトなどになるとまったくエキストラなしや省略すらデザインに昇華しますが)特に男女平等の人間関係路線、主人公たちの世界観に集約されるとすると・・・

 

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      このグラデーションによるレイアウトは一体?

 

 それにしても昼のシーン、画面の四隅が白いグラデーションが賭けられているの、これは他のアニメならキャラクターの過去の回想シーンでありがちなそれなのでここも不思議な感じします。ぼくはここで「実はグラスリップはすでに主人公たちの誰かが死にかけてて全部回想してる」「いや実はもっと悲惨で、本当は悲惨な夏の思い出しかないやつの妄想、エキストラの中に妄想する本体がいる」という説を唱えたいです。

 観たアニメは既に妄想でしょう。でも培った想像力と欲望、そして悲しみはそのままに、また夏を過ごしましょう。