17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

ガキの頃のゲーム繋がりの人間関係

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棺姫のチャイカ 視聴7分

 

 

 

 

ラノベゲームアニメの空間では本当にデザインが優れていておしゃれなものはいらない。つねにちょいダサいデザインを求めている。おしゃれ過ぎるものは引くから少しダサい、少し古い記号的な要素にする。そしておしゃれにデザインすることが題材の根本的な臭みや面白さをスポイルする瞬間もある。マニアやオタクがオサレなんつって揶揄するその精神の裏側にはそうした拒否反応もあるので反ファッションや反アカデミズムがあるのかないのか。そのラインの中でいろんな制作会社が洗練させようとしてる。本作を見ていてもう少しズヴィズダーとか埋蔵金を褒めとけばよかったなと思いました。

 

ドラゴンコレクション 第1話「なにこれ!?ドラコレ!」 視聴3分

 

玩具展開のための広報のためのアニメというのはあまりに露骨なために、見方を変えれば宗教の啓蒙用アニメであるとか北朝鮮などの閉鎖的な共産国家の啓蒙アニメのように見えていきます。

 

特にもともとのネタがソーシャルゲーム。マニアやらオタクやらにはともかく評判の悪い、偏見のあるサイドが特にこうしたアニメを作ってると、特に無垢で熱血な少年がソーシャルゲームを自信を成長する場に選んでるこれは啓蒙アニメを見てるかのような感じがあります。「親のスマホでカードを読み取ってもらって~」のくだりには、うっすらと外堀を埋めているような行間を読み取り少々ビビりました。

オレカバトル 第1話「本物のオレカバトル!!」 視聴2分

 

 話がまったく変わりますが眉毛の濃い髪の立った主人公の兄ちゃんというのは今やこういうスタイルとかダイミダラーみたいなパロディくらいしかなくて、14-21歳の範囲でやろうとしたらキルラキルは女の子になったりするし大変ですね。(流子の声を担当した小清水亜美の演技あれは男の子用の声の演技ですよね)

 子供のころにはオレカバトルなんてやっていた熱血な少年が思春期に差し掛かるにつれて、モノローグばかり頭の中に流して気取り始めていく。そう考えると切ない話です。

 

 あっ、でも思春期に差し掛かるにつれてヤンキーかオタクかに指向は分かれていって、当然オタクだけがアニメ見続けてるわけだからそこに合わせてモノローグばかりの青年になりがちなのか?そうすると主人公の眉毛はヤンキーで、齢を取るにつれ主人公(アニメの主な客層)は友達のメガネの方に移るともいえる。

 

 小学生のころには髪が経って眉毛の濃い主人公とゲーム繋がりで遊んでいたが、成長していくにつれてそうした関係は無くなっていく。主人公の友達である典型的なメガネこそ成長したあとでモノローグばかりの少年になり、眉毛の濃い奴は友人関係でもなくなっていき疎遠になったりする。オレカバトルをやっているその期間は彼らは友人であるかもしれないが、小学校を卒業し、中学に上がるころにはもうパーソナリティの指向の違いによって顔を合わせることも少なくなってきてしまうのだ。あの頃は一緒にポケモンなど遊んでいたのに中学に上がる頃にはヤンキーやらの集団の方に行き、2度と話すことが無くなることも少なくはない。思えば彼らがこうして共に街のゲームを通して繋がっているのは、ガキの頃のわずかな期間ならではだ。

 

なんてことを2分しか見てないながらふと考えてしまいました。観たアニメは忘れましょう。でも愛しさとせつなさと心強さはそのままに、次回にお会いしましょう。