17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

アイドルがオタクもサブカルもマスもコアもオシャレもダサいの境界をぶち壊してる。なんて視点の「アイマス」「ラブライブ」レビュー

Ads
 

 アイドルネタはAKB48の仕掛けが日本を席巻して以降、気が付けばその仕掛けは単なるJPOPやいち芸能の範囲を超えた膨大なメディアミックス力を発揮しています。

 その戦略的なメディア拡大力の凄まじさというのはいまやアニメからビデオゲームの領域にまで及んでいるかのようで、現在の「アイドルマスター」から「ラブライブ!」には強力なメディアミックスによるコンテンツ力(うげぼヤバい単語です)が発揮されているかに見えます。

 

 マスに向けたJPOPやら芸能の範囲ならまだよかった。ところがここ数年来のアイドルの流れはコアから狙ってメディア拡大という経緯をはじめ、マスーコアという境界からオタクーサブカル境界に至るまで、融解というか全部グダグダにしているかのようです。ということで近年のアイドルアニメネタざっと見つつの、アイドルブームの雑記です。

 

  アイドルネタの広まり方とジャンルの境界のぶち壊しぶりは今更ながら相当なもんになっています。AKB48のオタク狙いで秋葉原から発展させてきたネタで今や宇野常寛だとか浜野智史から小林よしのりといった言論人までも抱き込んで進行していきました。

 

 

 サブカルネタ雑誌クイックジャパンも21世紀になってからダウンタウン扱ったり銀魂扱ったりと軟化しまくっていますが、近年はプロレス格闘技ネタからガンダムネタとアイドルネタ、それぞれが重なるポイントにサブカルがあるからなのか、ももいろクローバーを奇怪に押し出していくようになりました(それに追従するかのようにサブカルネタのお店ヴィレッジバンガード店舗によってこんな風に乗っかっています。

 

 ポップカルチャーなどをアカデミシャンや社会学・思想系の言論人が語るというケースや、サブカルサイドの切り口というのはかつてはもう少し尖っていた印象はあったのですが、どうにも時代の中で軟化して寄りあい、オタクサイドとさえ融合した位置にあるのがアイドル。とそんな風に見えます。

 
 

アイドルマスター

 

 

 

 ビデオゲーム界隈にて2005年にアーケードからスタートし、2007年にはxbox360のタイトルで展開。2011年にアニメ化されその後にソーシャルゲームにて爆発的な収益を上げるなどはじめ、実際の声優によるライブからCDでの展開などメディアミックスの各方面にてヒットしています。

 

 いまから振り返るとアイマスのやってきたことは後々にアニメ界隈のシーンに影響与えてたのか?などと感じます。まず初代アーケードからの3DCGでのトゥーンシェードで2Dのように見せるモデリングでのダンス。xbox360バージョンにてこのデザインは極まったかに見え、これも現在のアイドルネタはじめ、今では多くのアニメが3DCG含めた演出やってるのを見るとゲーム方面にてまず「セルアニメのような3DCGモデルでのダンス」の完成系のひとつを出しているかに思えます。

 

 手書きセルアニメだと作業量が膨大化するために3DCG導入はローコストで効率よく効果を出すため、ということですが、なにかと面白いのはアニメ版のアイマスだとゲームとうって変わってトータルデザインから3DCGモデル感が消え失せ、2Dのセルアニメの魅力に徹底してることです。

 

 基本的なキャラデザインが360°どの角度でも作画を崩さないようにするそれではなく、アニメーターが伸びやかな作画をしやすいデザインやっているかに見え、ダンスシーンも完全にセルアニメの作画で表現してます。原作のゲームでうんざりするくらい3DCGを見ているわけで、このはっきりとした差別化はそういうことなのでしょう。

 

 アイドルアニメ界隈でダンスで3DCGは当たり前で、それに合わせるためキャラデザインや作画もどの角度からもデッサンが崩れないように正確に描くことが要求される中では、アイマスアニメ版のそうした堅苦しさから自由になった伸びやかさは考えてみれば皮肉で異色な気もします。(あっ、そういう意味では山本寛WUG!もダンスシーンは全て作画する、というところに生命線がありますね)

 

 

ラブライブ!

 

 これはよく見るとかなりの必勝の要素を詰め合わせた、もっとも秋元康的といいますかプロデュースサイドの相当な計算による作品に見えます。

 

 実際のAKBなどアイドルのヒットから、ビデオゲーム発で膨大なメディアミックスを成し遂げたアイマスなどのヒットに加え、日常プラス音楽とダンスをミックスすることでアニメの根源的パワーを爆発させた2006-2010年の京都アニメーションのヒットなどからプリキュアのヒットに至るまで、それぞれの勝因の部分をかなり取り入れているかに見えます。

 

 この打算的な感じ、まともに調べてみると角川アスキーメディアワークスの電撃G's magazineから大手サンライズと音楽会社ランティスが合同で行ったプロジェクトで、それぞれがキャラクター・音楽・アニメ制作と手を組んでいるという、(これは当たってる今ゆえの後出しかもしれませんが)かなり計算や修正を施してコンテンツをプロデュースした感じあります。アイマスは黄金期のモーニング娘。をベースにしているのに対し、ラブライブの読者参加型という形や、その後にトレンドを読んでの当てていき方はAKB48的と言えるでしょう。

 

 プロジェクトスタート時のどうしょうもなくよくあるキャラデザインから、オッサンまで見てる女児向けのアイドルアニメ周辺トレンドと比較してだろうデザインの修正のしていき方(目の描き方の白目黒目配分とハイライトの入れ方、頭身バランスなどを変えてきてる)から、アニメ版での「けいおん」の脚本家起用あたりから見えそうな京都アニメーション的なデフォルメ逃げを避けた、ロケーションの空気を殺さないようにした日常描写中心というトレンドまでを取り入れているかのようです。

 

  極めつけはやはりダンスシーンのセルアニメ&3DCG複合での表現。女児アニメ界隈はじめ培われただろう3DCGでのダンスを、セルアニメと違和感ギリギリで混ぜ合わせていく手腕や、日常のゆったりした流れから、決めのダンスシーンの動画と楽曲を一致させて爆発させるアニメーションの根源の凄まじさという展開の強弱は京都アニメーションのそれだと思われます。このあたりにトレンドを読みつくした打算と必勝感があると見えました。

 アイドルマスターは作り手が先に仕掛けてお客が育て、それにまた作り手も乗っかる形でメディアミックスが拡大していった感じに見えるのに対して、最初からメディアミックスを見越していたラブライブはもの凄く綿密にお客のトレンドを読んでいって修正していきヒットに至ったように見えます。

 

 アイマスは「2」で世界観を広げる際に、男性アイドル出したりどことなくギスギスしたアイドル関係の感じを混ぜ込もうとしたりとお客側からしたら壊されたと感じてしまうような仕掛けをやってますが、その後のフォロースルーをうまくやってます。対してラブライブサイドの場合は男性出したりのビジネス上リスキーなそういう壊しに至ることはねえんだろうなあとも。そこが秋元康AKB48的鉄壁なプロデュースワークというか・・・

 

 

 

◆アイドルアニメネタを傍目で観ての最大の武器の面・またここんところのアニメのモードの魅力をひとまとめにしたら結局アイドルアニメに行き着いた説

 

 この後アイマスラブライブも実際の声優が作品内の楽曲を歌うライブを行っていくというのも主になってきていていますが、これは昔から言われていた声優のアイドル化というのが行き着いた果てという気もします。

 

 また、ディズニー以来からの商業アニメーションのもっとも単純で、根源的な魅力である音楽と動画が共に動くのを最も強く表現できるジャンルが行き着いた果てもまた、アイドルと思えます。

 

 思えば京アニの「ハルヒ」「らきすた」「けいおん」もヒットの根底には鉄壁な日常描写と作画の上にあの楽曲とダンスの魅力を爆発させることをやっていたわけで、実質二人のアイドルの相克が主だったろう「マクロスF」もライブシーンとドッグファイトシーンを掛け合わせることで魅力を発揮させました。これらも後に実際の声優がその楽曲をライブでやる、なんてことはじめ多彩なメディアミックスをやっています。

 

 アイドルアニメの頻発というのは何も実際のアイドル業界の盛り上がりの影響というよりかは、アニメの根源的魅力を凝縮していることから、楽曲のCD展開はじめライブにまで至る展開という京アニからマクロスFなどなどに至る、近年のトレンドを一括りに展開できる題材に行き着いた結果のように思えます。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、来季でお会いしましょう。